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大阪高等裁判所 平成6年(ネ)784号 判決 1997年5月15日

主文

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた裁判

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

以下、控訴人を「被告」、被控訴人甲野花子を「原告花子」、被控訴人らを「原告ら」という。その他の略称は、原判決のそれによる。

第二  原告らの請求の概要と当事者の主張

一  本件は、平成三年一二月二日に肝硬変・食道静脈瘤破裂が原因で亡甲野太郎(太郎)が死亡したのは、被告の診療契約上の義務違反、不法行為上の過失に基づくものであるとして、同人の相続人(妻・子)である原告らが被告に対し、主位的に民法四一五条の債務不履行責任、予備的に同法七〇九条の不法行為責任を追及して、太郎または原告らに生じた損害の賠償を求めた事案である。

二  当事者の主張は、別紙原判決訂正等一覧表(1)ないし(6)のとおり原判決を訂正等し、原判決別紙通院表の番号<7>「昭和六二年三月五日」の本人受診欄に〇印をつけ、番号<28>「平成元年四月一五日」を「平成元年四月一八日」(裁判所註 平成四年七月二〇日付被告準備書面記載の「平成元年四月一五日」は、《証拠略》に照らし、「平成元年四月一八日」の誤記と認める。)と改め、後記のとおり当審における当事者の補充主張を付加するほかは、原判決の事実中第二の一及び二(二丁裏二行目から二二丁裏九行目まで)に記載のとおりである。

以下、原判決別紙通院表とは、右補正後のものをいい、証拠として掲げる被告供述、太郎供述及び花子証言は、いずれも原審におけるものであり、当審における証人奥野忠雄の証言は、「奥野証言」と略称する。

三  原告らの補充主張

1 被告の帰責事由又は過失の内容

本件で問題となる被告の帰責事由又は過失は、被告が医師として、<1>慢性肝炎の患者である太郎に対して、その病状及び検査結果を的確に判断し、十分に経過観察を行なうべき注意義務、<2>肝硬変への移行の危険性を告知するなどして、絶対禁酒の告知と適切な食事療法の指導を行ない、肝硬変への移行を防止すべき注意義務、さらに<3>肝硬変への移行の危険性を察知したときまたは診断確定に疑問を持ったときには、早期に転入院させて精密検査を受けさせるべき注意義務、<4>肝硬変に至ったときは、十分食事療法の指導を行ない、絶対禁酒を告知して、入院治療を行なうなどして断酒指導を行なうとともに、食道静脈瘤破裂などの合併症の予防治療を行ない、肝硬変による死亡を防止すべき注意義務が、それぞれ存するにもかかわらず、これを怠ったことである。

しかるところ、被告は、一切肝硬変への移行に気づいておらず、太郎が慢性肝炎であるとの診断確定に疑問も抱いていないのであるから、被告の帰責事由又は過失は、右のうち<1>、<2>の注意義務違反を中心にして構成される。

(一) 注意義務<1>違反(病状・検査結果に対する的確な判断及び十分な経過観察を怠り、慢然と慢性肝炎と診断していたため、肝硬変への移行を見逃し、症状の重いことを警告しなかった義務違反)について

川崎病院第一回入院時(平成元年五月二三日)の所見では、太郎には腹水、黄疸症状が、同年六月二六日のCT写真によれば、肝相対的左葉腫大・右葉萎縮がそれぞれ認められることからすると、右入院時点では肝硬変(非代償期の肝硬変)に移行していたことは明らかである。これに、昭和六二年一月二七日採取、同月二九日報告の血液検査結果によれば、昭和六二年一月の時点で、肝臓機能障害が出ており、総ビリルビンが二・〇単位であって、軽度の黄疸も認められたことを併せ考慮すると、右時点で、太郎が肝硬変であった可能性は大であると考えられる。もっとも、連続した病変である肝硬変について、その移行期を特定することは困難であり、しかも、肝硬変の診断は病理学的な診断であるところ、太郎が被告方(乙山医院・以下同じ)に通院していた際、病理学的に肝細胞を検査し、又はCT検査をしていない本件においては、なお一層右移行期の特定は難しいが、被告自身が、昭和六二年一月の時点で既に、太郎には一日おきの点滴静注(静脈注射)が必要な状況で、絶対的禁酒が必要であったと供述していることからすると、右時点において、太郎の病状は相当悪化した状態であったことがうかがわれる。そうだとすれば、この時点で直ちに判断することは無理であったとしても、被告が太郎の治療を進めていくなかで、前記検査数値の異常、身体所見の特徴(昭和六二年一月二七日の上腹部痛はアルコール性肝炎の重要な兆候であり、昭和六三年一月一六日の上腹部抵抗も肝臓が腫れているための抵抗感であると考えられること等)から、当然、被告は、太郎の病状が重いことに気づくことができたはずである。しかるに、被告は、慢性肝炎の患者に対して、その病状及び検査結果を的確に判断し、十分に経過観察を行なうべき注意義務を怠り、漫然と中程度の慢性肝炎であると考え、肝硬変への移行を見逃し(ちなみに、被告は、GOT値がGPT値より優位になり、その比が倍以上になることが肝硬変を示す有力指標であるにもかかわらず、肝硬変の場合には必ずとはいえないとしても、GPT値がGOT値より上昇するものと誤解していた。)、安易な投薬治療を持続(単に、ビタミン剤、肝臓庇護剤だけを投与)していた。右のように、被告は、最初から最後まで太郎が中程度の慢性肝炎であると考えていたからこそ、太郎本人にはもちろん、当時通院していた原告花子(妻)や義母に対しても一切病気が重いことを告げず、禁酒指導もしていないのである。この診断確定に間違いがあったことが本件の根本である。

(二) 注意義務<2>違反(禁酒の指導を怠り、肝硬変への移行の危険性を警告しなかった義務違反)について

右のように、昭和六二年一月時点において、太郎はアルコール性肝炎で、かつ肝硬変への移行にも十分注意すべき状態であったにもかかわらず、太郎に従前の飲酒歴も一切聞かず、漫然と慢性肝炎であるとし、節酒を告げたにとどまる被告の責任は重大である。

そもそも、内科医である被告が、このまま飲み続けたら危ないと伝えることは、簡単にできたことであり、一言の禁酒指導は過剰な義務を被告に強いるものではない。しかも、太郎の義理の父母、妻(原告花子)も同じ被告方に通っていたのであるから、家族に一言酒を飲ませたらいかん、このままじゃ危ないと告げることは簡単であるが、被告はこれもしていない。しかるところ、血液検査結果によれば、総ビリルビン値が一方的に上昇しているわけではないので、肝機能の低下は示しているものの、昭和六二年一月以降の太郎の病状は、一方的に進行・悪化したとは断定できず、むしろ順次肝硬変に移行していったものと考えられる。そうすると、本件において断酒、食事療法が効果的であった(被告が、適切な禁酒指導を行ない、病状を理解させる努力をすれば、太郎は重度の肝硬変にはならず存命していた)ことは間違いない。それにもかかわらず、被告作成のカルテには、太郎に禁酒指導、食事指導をした旨の具体的記載が全くない。

(三) 注意義務<3>違反(症状の推移に応じた診断を怠り、転医・精密検査の受診をさせなかった違反)について

保険医は、患者の疾病又は負傷が自己の専門外にかかわるものであるとき、又はその診療について疑義があるときは、他の保険医療機関へ転医させ、又は他の保険医の対診を求める等診療について適切な措置を講じなければならない(保険医療機関及び保険医療養担当規則一六条)。保険医である被告は、右転送・転医義務を負うところ、そもそも肝硬変への移行も察知せず、かつ診断確定に疑問も全く持たなかったために、太郎を転入院させることを検討すらしなかった。

太郎は、特別に容体が悪いとは思わず、被告からちょっと肝臓が悪い程度の話しか聞かされないまま被告方に通院していた。ところが、突然吐血し、肝硬変で生命も危うい、なぜこんなときまで放置していたのかと言われ、びっくりしたことが、本件訴訟の引き金である。

(四) 注意義務<4>違反(肝硬変に対応した治療を怠り、死亡に至らせた義務違反)について

被告は、太郎の病状が肝硬変に移行した後も、また、肝硬変が代償性から非代償性に移行した後も、従前と同じ治療を続けた。これは、被告が肝硬変への移行を全く見逃していたからにほかならず、禁酒指導も、食事療法も告げず、合併症予防措置も一切取っていない。

2 死亡との因果関係

(一) 川崎病院第一回入院時(平成元年五月二三日)に、原告花子が担当医から「もう絶対治らない」、「短命です」、「もう仕事は絶対無理だ」との説明を受けていること、同病院担当医が同月三〇日にカルテに見通しが暗い旨の記載をしていること、原告ら訴訟代理人の求意見に対する医療事故情報センターからの回答書は、右入院時の太郎の病状は、肝硬変の病態としては重度であり、進行度としては臨床病期[2]と[3]の中間に分類され、非代償期の肝硬変であったと認められ、また、回復の可能性としては、クリーニング業の常務につくことは困難であり、生存可能性としては、断酒を継続するとともに、食道静脈瘤の出血など合併症を厳密にチェックし、対応することによりかなりの長期生存が得られるものの、合併症の予防で五〇%程度は五年生存できると思われるにすぎないとしていることを併せ考慮すると、右入院時には、太郎の病状は長期生存可能性が極めて少ない程悪化していたことが認められる。

(二) 被告は、川崎病院入院後も太郎が飲酒を継続していたと主張するが、そのようなことは考えられず、仮に飲酒の事実があったとしても、せいぜい体調が良くなると油断して時折飲酒していた程度にすぎない。入院中はもちろん、自宅療養中は原告花子が看病し、酒も管理している状況の中で多量継続飲酒ができるものではない。したがって、同病院第一回入院時の病状(既に肝硬変に移行)と肝硬変の生存率(肝硬変になった場合は五年以内に死亡するのが普通であること)を併せ考えると、本件においては、その後の飲酒が仮にあったとしても、被告の過失と太郎の死亡との因果関係は否定できない。

(三) 太郎が飲酒していたことが事実とすれば、過失相殺の場面で負の要素として働くと考えられるが、そもそも原判決の過失相殺の割合八対二は余りに原告らにとって不利なものであり、本件における禁酒を告知する行為の容易さ、病状悪化を知る兆候の多様さから判断すると、仮に川崎病院入院後に何回かの飲酒の事実があったとしても、原判決の結論部分は維持されるべきである。

四  被告の補充主張(反論)

1 被告の帰責事由の不存在ないし無過失

以下に述べるとおり、被告において、原告ら主張の<1>ないし<4>の注意義務に違反した事実はなく、被告には何らの帰責事由も過失もない。

(一) 注意義務<1>(病状・検査結果を的確に判断し、十分な経過観察を行なうべき義務)--太郎の受診態度--について

(1) 医師の注意義務の大前提として、医師と患者との間に信頼関係及び協働関係が維持されていることが必要不可欠であり、例えば、患者が誤った情報を提供した結果、医師が診断を誤ったり、あるいは、患者が医師の指示に従わず、薬を飲まなかったり、逆に飲酒したり、通院を継続しなかった場合には、医師の注意義務は大幅に軽減されるか無責と解するのが妥当である。

(2) しかるところ、原判決別紙通院表によれば、太郎の受診態度は、次のようなものであった。

<1> 初診時の昭和六一年一二月二四日に、被告から数日後の来院を指示されたにもかかわらず、昭和六二年一月二七日まで来院しなかった。

<2> 昭和六二年一月二九日に来院した際、被告から禁酒、食事療法の指示を受けたのにその指示を守らず、かつ、一日置きの点滴静注を勧められたにもかかわらず、当日はもろろん、その後も一日置きの点滴静注を受けず、また、被告の指示どおり通院しなかった。

<3> 昭和六二年二月二六日の来院時に、禁酒、食事療法の指示を受けたのにその指示を守らず、かつ、一日置きの点滴静注の指示も守らなかった。

<4> 昭和六二年三月二〇日に、被告が薬を取りに来院した原告花子(妻)を介して、来院を指示したにもかかわらず、その後受診はもとより投薬をも受けずに診療を受けることを放棄した。

<5> 約一一ヶ月後の昭和六三年一月一九日に、被告から同月一六日の血液検査の結果の説明を受け、禁酒を指示され、かつ、強く点滴静注を勧められたにもかかわらず、当日はもちろんその後も点滴を受けず、また、通院そのものも継続せず、同年三月四日以後は投薬も受けず診療を受けることを放棄した。

<6> 約四ヶ月後の昭和六三年七月一四日に、下痢と腹痛を訴えて来院したが、その後同年八月二三日まで来院せず、同日の血液検査の結果も悪く、同月二五日に、被告から頻繁な通院を勧められたにもかかわらず、同月三〇日、同年九月一〇日、同月二七日、同年一〇月二七日のわずか四回しか通院せず、診療を受けることを放棄した。そして、右通院の間、被告から禁酒を指示されたにもかかわらず、その指示を守らなかった。

<7> 約五ヶ月後の平成元年三月一七日に来院し、腹部の痒みを訴え黄疸の心配をして血液検査を受けたのにかかわらず、被告が指示した同月一九日に来院せず、同月二二日に、原告花子(妻)をして右血液検査の結果を聞きに来院させ、同原告を介して被告から来院を指示されたのに来院受診しなかった。また、右三月一七日にも禁酒を指示されたが守らなかった。

(3) そもそも、慢性肝炎もしくは肝硬変の診断・治療にも症状の経過観察や検査の継続性が重要であるにもかかわらず、右にみたように、太郎は被告の診断・治療に協力せず、勝手気ままな受診態度を約二年半も継続し、その間に一五回しか受診せず、血液検査に至ってはわずか五回しか受けていない。さらに、その間に点滴静注を受けたのはわずか二回である。そして、右血液検査も継続してなされたのは、昭和六二年一月二七日と同年二月一八日の二回のみで、その後の昭和六三年一月一六日の血液検査との間には約一一ヶ月間もの間隔があり、同様にその後(昭和六三年八月二三日、平成元年三月一七日)の血液検査もそれぞれ約七ヶ月間という長い間隔をおいて実施されているにすぎない。したがって、被告としては、血液検査をしていない右各長期間中に肝機能障害の症状がどのように変化して各検査結果として現れたのかを把握する手段がなかった。また、太郎が通院しなくなった理由も、被告から点滴静注を強く勧められたため、あるいは、禁酒を指示されたためと解される。

(4) 被告としては、太郎の協力を得られなかったものの、でき得る限りの最善の診療をしたものであるが、それでも客観的にみれば、被告の診療行為は太郎の恣意に振り回されてなされたと解し得る診療行為であり、被告において意図していたほどの一〇〇%の診療行為はしたくてもできなかったものである。そして、被告の診療行為が右のような状況になったのは、すべて、被告の種々の指示・勧告に従わずに、勝手気ままな通院受診を繰り返し、飲酒を続けていた太郎にその原因があるというべきである。

(二) 注意義務<2>(肝硬変への移行を防止すべき義務)--飲酒の禁止指示及び食事療法等の生活指導--について

(1) 長期間かつ多量の飲酒によって肝臓障害を患った患者が、医師から禁酒を指示された後に、酒を慎むか慎まないかを決断し節制するかどうかを決めるのは、結局は本人の自己責任であって、「絶対」に禁酒しろと指示されなかったから、あるいは、肝硬変になる旨告げられなかったから飲酒を続けた旨の主張がものの道理として通るとは考えられない。

(2) 昭和六二年一月二七日の第一回血液検査の時から肝臓機能検査の結果は治療を要するほどの異常値を示し、さらに、同年二月一八日の第二回血液検査の結果は第一回とさほど変わらない異常値を示しており、太郎の肝臓機能障害はアルコール性のものと容易に判断できた。そのため、被告は、昭和六二年一月二九日ころから太郎に点滴静注を勧め、かつ、指示通り頻繁に通院するよう何度も指示していた。特に、同年二月二六日には、太郎も被告の説得に応じて点滴静注を受けており、被告も太郎と長く接する機会を持てたので、一日置きの点滴静注の効用を説明するとともに、酒をやめること及び睡眠を十分にとり、高蛋白質の食事をするよう懇々と指導した。そして、第一回の血液検査の後である同年一月二九日の来院時には、最初の検査結果の説明であったから、治療効果を確かめる必要性からも、当然のこととして、被告は、太郎に禁酒を指導し、食事療法等の生活指導をしている。さらに、被告が記憶しているだけでも、太郎がアルコール臭をさせて受診したため禁酒の指示をしたことが二、三回はあるし、昭和六〇年から昭和六三年の間には、原告花子自身も時々被告の治療を受けていたので、その機会に、あるいは、同原告が太郎の薬を取りに来た時に、被告から同原告に対して、太郎の禁酒をさせること及び高蛋白質の食事をさせることを説明指示している。

(3) 被告の説明、指示について、太郎及び原告花子は、当初、被告は「肝臓が少し弱っている。」と説明し、その後も「なるべくなら好きなものを止めというのは無理やから、まあ控えときなさい。」と告げたにすぎず、被告が絶対的禁酒を指示してくれたり、「酒を飲み続けると肝硬変になってしまうぞ」と警告してくれていれば、太郎は禁酒していた旨供述、証言する。しかしながら、川崎病院のカルテによれば、太郎は、平成元年五月二三日に食道静脈瘤破裂による吐血により川崎病院に入院中(同年八月二五日)も飲酒して転倒し怪我をし、その後の通院中にも度々(平成二年一月二六日、二月一四日、八月四日、同月二五日、九月二九日、一二月一日、平成三年一月一六日)飲酒のうえ受診し何度も禁酒の注意を受け、さらに、二回目の吐血により平成三年二月五日に同病院に入院してから(同年三月二〇日、同月二九日)も飲酒をやめず、また、同年九月一八日の三回目の入院後(同年一〇月二四日)も飲酒していた形跡がある。このように、太郎が川崎病院の担当医から肝硬変であることを告知され、厳重な禁酒を指示されていたにもかかわらず、飲酒を続けていたことに照らすと、被告の説明、指示についての前記太郎供述及び花子証言は、到底、措信し難い。

(三) 注意義務<3>(症状の推移に応じた診断をし、転医・精密検査の受診をさせるべき義務)及び同<4>(肝硬変による死亡を防止すべき義務)について

(1) 被告は、GOT対GPT比のみによって太郎が肝硬変に至っていないと診断したものではなく、黄疸がないこともしくはその程度が軽いこと、浮腫・腹部膨隆(腹水)がないこと、くも状血管腫や手掌紅班もないこと、触診により硬化した肝臓を明確には触知しなかったこと及びその他の血液検査結果をも併せて肝硬変に至っていないと診断したもので、当時の太郎の極めて不規則な受診態度や被告の指示(禁酒、継続受診)や勧め(点滴静注)に応じなかった不適切な受診態度を併せ考えるならば、被告の右診断は妥当であって誤診ではない。

(2) ちなみに、昭和六二年一月二七日採取、同月二九日報告の血液検査結果では、GOT>GPTであり、総コレステロール値が正常値下限を下回っており、ガンマGTPも正常値上限を上回っているものの、総蛋白、アルブミン値は正常であるところ、太郎はアルコール多飲者であり、そのような飲酒者の肝障害例では一般にGOTとGPTが本例のように著しく乖離し(肝硬変に至っていなくとも)GOT<GPTの形をとることが多いうえ、飲酒者の場合には不規則な食事摂取などにより(肝硬変に至っていなくとも)しばしば総コレステロール値が低いことがあるので、GOT>GPTの異常を認めたことなどから直ちに積極的に肝硬変と診断できない。そして、このことに、同年(昭和六二年)二月一八日採取、同月二〇日報告の血液検査結果も右と同様の検査結果で、アルブミン、ガンマGTPは正常で総コレステロール値も正常値下限をわずかに下回る程度であったこと、GOT対GPT比は一・四八六で前回の数値(一・九六五)よりよくなっていたこと、昭和六三年一月一六日採取、同月一八日報告の血液検査結果では、アルブミン値及び総コレステロール値は正常値下限を少し下回り、ガンマGTPも正常値上限を上回っているものの、GOT対GPT比は一・八七八で前々回昭和六二年一月二九日報告の数値(一・九六五)よりもよく大差はないこと、平成元年三月一七日採取の血液検査結果では、アルブミン、総コレステロール、血清総蛋白は正常で、ガンマGTP値は正常値上限を上回っているものの前記昭和六三年一月一八日報告の検査結果よりもよいことを併せ考慮すると、被告方に通院していた当時の太郎が肝硬変であったと断定することはできない。したがって、この点からも、被告が太郎の肝障害につき肝硬変と診断せず、あるいは、肝硬変を強く疑わなかったことが誤診ではなかったといい得る。

(3) 本件のようなアルコール性肝障害の場合には、未だ肝硬変に至っておらず慢性肝炎の段階においてもGOT>GPTの傾向を示す症例が多く、かつ、GOT対GPT比が二・〇以上になることが多いから、太郎の臨床症状及び血液検査結果により慢性肝炎から肝硬変への移行期を判定することは困難である。そして、太郎が被告に訴え被告において確認し得た身体症状は、上腹部症、右上腹部の軽度の抵抗、全身の倦怠感、軽度の黄疸、脚部の痙攣、下痢であるが、その訴えは受診の都度異なり、しかも、長い間隔をおいての飛び飛びの訴えであって継続的に把握できた症状ではなく、また、血液検査結果(データ)も約二年半の間にわずか五回分しかないもので、右身体症状及び血液検査結果(データ)のみではアルコール性肝硬変となっていると診断したり、その疑いを強く持つことができないものであるばかりではなく、アルコール性慢性肝炎の重症度の判定すらし難いものであった。さらに、アルコール性の慢性肝炎と肝硬変との間には治療方法に根本的な差異はなく(禁酒、投与する肝庇護剤の種類、食事療法、睡眠)、肝硬変の場合には合併症に対する予防と治療に留意する点で慢性肝炎とは差異があるにすぎず、肝硬変の場合には絶対的に入院が必要であるとはいわれていない。したがって、被告において、直ちに太郎を専門病院に転送することを考慮する必要はなかった。

2 死亡との因果関係

太郎の死因は、平成三年一一月三〇日の食道静脈瘤の破裂を契機として発症した肝性昏睡である。そして、右食道静脈瘤及び肝性昏睡は、いずれもアルコール性肝硬変に起因するものと考えられるが、太郎のアルコール性慢性肝炎及び肝硬変は、いずれも太郎自身の長期間の多量の飲酒に原因があるのであり、また、慢性肝炎から肝硬変へ移行した原因も被告の指示どおりの禁酒をせず、食事療法を取らず、継続した受診をしなかった太郎の行為に原因がある。したがって、被告の医療行為と太郎の死亡との間には相当因果関係はない。

第三  当裁判所の判断(証拠の挙示は、原判決引用部分を除き簡略な方法による。)

一  当事者

原判決の理由中第一(二三丁表三行目から五行目まで)に示されているとおりである。

二  診療契約

昭和六二年一月二七日の受診、血液採取の後、同月二九日には、太郎の肝臓障害に関する本件診療契約が成立した。右の点は、原判決の理由中第二の一ないし四(二三丁表七行目から二四丁表五行目まで)に示されているとおりである。

但し、原判決二三丁表一二行目の「甲第九」を「甲第九号証の一、二」と、「第一〇号証の各一」を「第一〇号証の一」と改める。

三  本件医療事故の発生

太郎は、被告方(乙山医院)での治療の後、平成元年五月二三日に川崎病院に入院し、肝硬変・食道静脈瘤破裂と診断され治療を受けたが、平成三年一二月二日、右傷病が原因で同病院で死亡した。その過程は原判決の理由中第三の一ないし四(二四丁表七行目から二五丁表五行目まで)に示されているとおりである。

但し、原判決二四丁裏一行目の「第一六号証の四ないし六」を「第一六号証の一ないし二二(関係部分は四ないし六)」と、二行目の「<3>その余の事実が」を「<3>のその余の事実(但し、太郎が全身の倦怠感と腹痛を訴えたのは昭和六三年一月一九日に被告の診察を受けた際である。)が」と各改め、二五丁表一行目の「前掲甲第一二号証、」の次に「成立に争いのない甲第一三号証、乙第七号証」を加える。

四  被告の責任

1 太郎の肝臓障害に関する被告方での治療経過等

《証拠略》によれば、太郎は、昭和六二年一月二七日から平成元年五月一五日までの間(約二年四ヶ月)、被告の診察、治療を受けたが、その間の太郎の受診回数は一五回、血液検査は五回であること、被告は、第一回血液検査の結果をみて、太郎の肝臓障害をアルコール性の慢性肝炎と診断し治療に当たったが、その間における、太郎の飲酒状況、受診状況、血液検査の結果の概要は次のとおりであることが認められる。

(一) 飲酒状況

太郎は、昭和四八年三月の結婚当初から昭和六二年一月ころまでの間は、毎日晩酌時に日本酒三合ないし四合を、被告方受診後の同年一月以降前記入院の前日(平成元年五月二二日)までの間は、毎日晩酌時に日本酒約二合を飲酒していた。

(二) 受診状況

(1) 昭和六二年一月二七日 太郎、上腹部痛を訴えて受診。第一回血液採取。

(2) 昭和六二年一月二九日 第一回血液検査の結果をみて、隔日毎の肝臓病用の点滴静注を勧めたが、太郎が点滴を断ったため、点滴をせず静注をして投薬。その後、隔日の通院なし。

(3) 昭和六二年二月六日 太郎の妻、来院し投薬を求める。薬を交付し、太郎の来院を指示。

(4) 昭和六二年二月一八日 太郎、来院。肝機能検査を求める。第二回血液採取。肝臓庇護剤投与。

(5) 昭和六二年二月二六日 肝臓病用点滴静注を行ない、肝臓庇護剤投与。

(6) 昭和六二年三月五日 肝臓病用点滴静注を行ない、肝臓庇護剤投与。

(7) 昭和六二年三月二〇日 肝臓庇護剤投与。本人の受診なし。

以後、約一一ヶ月間治療中断。

(8) 昭和六三年一月一六日 太郎、下痢腹痛を訴えて受診。被告は、上腹部に軽い抵抗を認め、腸カタルと診断。対応薬の投与と注射を施用。第三回血液採取。

(9) 昭和六三年一月一九日 太郎、全身の倦怠感と腹痛を訴えて受診。被告は、血液検査の結果を説明。強肝剤を注射し、肝臓庇護剤投与。

(10) 昭和六三年一月二八日 肝臓庇護剤投与。本人受診なし。二月八日、二月一七日、三月四日も同じ。

以後、約五・五ヶ月間治療中断。

(11) 昭和六三年七月一四日 太郎、一日三、四回の下痢腹痛を訴えて受診。被告は腸炎と診断し、対応薬投与。

(12) 昭和六三年七月二一日 肝臓庇護剤投与。本人の受診なし。八月二日、八月一八日も同じ。

(13) 昭和六三年八月二三日 太郎、下腿の痙攣を訴えて受診。被告は、痙攣の原因としてカルシウム不足を考え、カルシウム注射。第四回血液採取。

(14) 昭和六三年八月二五日 肝臓病用の注射。八月三〇日、九月一〇日、九月二七日、一〇月二七日も同じ。この他一〇月一一日に投薬。

以後、約四・五ヶ月間治療中断。

(15) 平成元年三月一七日 太郎、上腹部の湿疹を訴え、肝臓の検査を依頼。被告は、痒み止め剤を投与し、肝臓病用の注射を施用。第五回血液採取。

(16) 平成元年三月二二日 肝臓庇護剤投与。本人の受診なし。四月一八日、五月一五日も同じ。

(二) 血液検査の結果

註 検査結果は正常値を超えるもののみを摘記。正常値の中で異なるものがあるのは検査所が異なるためである。

(1) 第一回(昭和六二年一月二七日採取)分

<1> GOT一一二単位(正常最高値四〇単位)、GPT五七単位(正常最高値三五単位)、GOT対GPT比一・九六五

<2> 総ビリルビン二・〇単位(正常最高値一・〇単位)

<3> ガンマGTP一一四単位(正常最高値六〇単位)

<4> 総コレステロール一二二単位(正常最低値一四〇単位)

(2) 第二回(昭和六二年二月一八日採取)分

<1> GOT五五単位(正常最高値四〇単位)、GPT三七単位(正常最高値三五単位)、GOT対GPT比一・四八六

<2> 総コレステロール一三八単位(正常最高値一四〇単位)

(3) 第三回(昭和六三年一月一六日採取)分

<1> GOT一五四単位(正常最高値四〇単位)、GPT八二単位(正常最高値三七単位)、GOT対GPT比一・八七八

<2> アルブミン(ALB)三・三単位(正常最高値三・五単位)

<3> 総ビリルビン四・七単位(正常最高値一・〇単位)

<4> ガンマGTP二〇九単位(正常最高値五〇単位)

<5> 総コレステロール九九単位(正常最高値一三〇単位)

(4) 第四回(昭和六三年八月二三日採取)分

<1> GOT一二九単位(正常最高値四〇単位)、GPT四四単位(正常最高値三五単位)、GOT対GPT比二・九三二

<2> 総ビリルビン三・五単位(正常最高値一・〇単位)

<3> ガンマGTP一四七単位(正常最高値七〇単位)

(5) 第五回(平成元年三月一七日採取)分

<1> GOT一一八単位(正常最高値四〇単位)、GPT三九単位(正常最高値三五単位)、GOT対GPT比三・〇二六

<2> 総ビリルビン二・二単位(正常最高値一・〇単位)

<3> ガンマGTP九九単位(正常最高値七〇単位)

2 太郎の肝臓障害の推移

既にみてきた本件医療事故発生、太郎の肝臓障害の治療経過や《証拠略》によれば、太郎の肝臓障害は、被告方で治療を受け始めた昭和六二年一月当時既にある程度進行していたもので(被告供述によると、普通程度の肝疾患あるいは肝硬変になる前の前肝状態、《証拠略》によると、かなり進行した肝疾患、奥野証言によると、中等度のアルコール性肝炎)、被告がこれを慢性肝炎と診断したことを誤りとはいえない状態であったが、その後平成元年五月(川崎病院への入院時)までの間に増悪化し肝硬変へと移行したものと推認される。但し、肝硬変へ移行した時期の確定は困難であり、これを認めるに足りる証拠はない。

3 医師の診療に関する一般的注意義務

原判決の理由中第四の三3(一)(1)ないし(6)(三一丁裏八行目から三三丁裏九行目まで)に示されているとおりである。

4 アルコール性慢性肝炎の治療方法に関する標準的な臨床医の知見・知識(昭和六二年一月ないし平成元年五月当時)

《証拠略》によれば、右当時において、標準的な臨床医師は、アルコール性慢性肝炎の治療方法に関し、原判決の理由中第四の三3(二)(1)<1>ないし<5>(三四丁表二行目から同丁裏六行目まで)に示されているとおりの知見・知識を有していたことが認められる。

但し、原判決三四丁表七行目と八行目との間に「また、アルコール性肝炎の一般的療法として、規則正しい生活・安静、食事療法(高蛋白・高カロリー食)、補液、電解質バランスの調整、各種ビタミン欠乏に対するビタミン剤投与等が行なわれる。」を加える。

5 アルコール性慢性肝炎の治療方法に関する被告の知見・知識(昭和六二年一月ないし平成元年五月当時)

被告供述及び弁論の全趣旨によれば、右当時、被告は、アルコール性慢性肝炎の治療方法に関し、原判決の理由中第四の三3(二)(2)<1>ないし<5>(三四丁裏一一行目から三五丁表五行目まで)に示されているとおりの知見・知識を有していたことが認められる。

右の点に関する被告の知見・知識と前記標準的な臨床医の知見・知識との間には、大きな隔たりはないものと認められる。

6 肝硬変の診断及び治療方法に関する標準的な臨床医の知見・知識(昭和六二年一月ないし平成元年五月当時)

《証拠略》によれば、右当時において、標準的な臨床医師は、肝硬変の診断及び治療方法に関し、原判決の理由中第四の二2(一)ないし(四)(二七丁表五行目から同丁裏一二行目まで)及び第四の三3(三)<1>ないし<5>(三九丁裏八行目ないし四〇丁表六行目まで)に示されているとおりの知見・知識を有していたことが認められる。

但し、原判決二七丁裏二行目の「固い肝」を「硬い肝臓」と、五行目の「GOT、GPT」を「血清トランスアミナーゼ(GOT、GPT)」と各改め、一〇行目の「血清トランスアミナーゼの低下、」を削除し、一二行目末尾に「なお、ZTT値の上昇は、肝機能障害の悪化に特異的なものではなく、他の検査とも併せ肝機能障害があるとはっきりしている場合に、肝機能障害の重症度を判定するのに有用であるにすぎない。」を加える。

7 肝硬変の診断に関する被告の知見・知識(昭和六二年一月ないし平成元年五月当時)

被告供述によれば、右当時、被告は、肝硬変の診断に関し、原判決の理由中第四の三1(一)及び(二)(三〇丁裏七行目ないし三一丁表八行目まで)に示されているとおりの知見・知識を有していたことが認められる。

右の点に関する被告の知見・知識は、前記標準的な臨床医の知見・知識が、一般的には、(一)肝硬変に移行すると、GOT>GPTの傾向を示し、GOT対GPT比が一・〇以上となるのが慢性肝炎との有力な鑑別点である、(二)ZTTの上昇は肝機能障害の悪化に特異的なものではなく、他の検査とも併せて肝機能障害の重症度を判定するのに有用であるにすぎないとするのに対し、(一)肝硬変の場合は必ずとはいえないにしてもGPT>GOTとなる、(二)肝硬変と診断する場合にはGOTやGOPの値よりもZTTの方が重要であるとする点において異なっており、必ずしも適切なものではなかった。右被告の知見・知識のうち(一)の点については、被告本人もその供述において誤りであったとしている。

3 原告らが主張する義務違反と本件医療事故(肝硬変へ移行し死亡したこと)との因果関係

《証拠略》によれば、後記(一)ないし(三)のとおり認められる(但し、甲第一二号証及び花子証言については、右認定に反する部分を除く。)。

(一) 注意義務<1>違反(病状・検査結果に対する的確な判断及び十分な経過観察を怠り、漫然と慢性肝炎と診断していたため、肝硬変への移行を見逃し、症状が重いことを警告しなかった義務違反)について

被告は、初診時、第一回血液検査(昭和六二年一月二七日採取)の結果をみて、太郎の症状をアルコール性の慢性肝炎であり隔日の点滴静注が必要な状態であると判断し、右静注の必要性を太郎に告げているが、これを誤りとすべき理由はない。

しかし、その後の診察、診断については、被告自身、原審において、(1)前記診療当時有していた肝硬変の診断に関する被告のGOT対GOPの比についての認識が間違っていたこと、(2)第三回血液検査(昭和六三年一月一六日採取)の結果には精密検査を要することを示す数値(総ビリルビン値四・七、正常最高値一・〇)が出ていたがこれを見過ごしていたこと、(3)通算五回の血液検査を行ったが、後になされた検査の結果をみる際に以前の検査結果との比較検討をしなかったことを怠慢と言われても仕方がないこと、をいずれも肯定する趣旨の供述をしており、かかる点を考慮すると、前記初診後の病状や検査結果に対する被告の判断あるいは経過観察に不十分な点があったことは否定できないというべきである。

しかるところ、(1)太郎の受診状況をみると、太郎が被告の診察を受けたのは、前記のとおり、<1>昭和六二年一月二七日の第一回血液採取当日と二日後の同月二九日の二回、<2>同年二月一八日の第二回血液採取当日と同月二六日、三月五日の三回、<3>その後約一一ヶ月の中断期間を置いた昭和六三年一月一六日の第三回血液採取当日とその三日後の同月一九日の二回、<4>その後約五・五ヶ月の中断期間をおいた昭和六三年七月一四日の一回と同年八月二三日の第四回血液採取当日及びその後の五回(同月二五日、三〇日、同年九月一〇日、同月二七日、同年一〇月二七日)、<5>そして、約四・五ヶ月の中断期間をおいた平成元年三月一七日の第五回血液採取当日の一回という状況であって、多少とも続けて受診したといえるのは第四回の血液採取当日とその後の五回だけであり、その他の場合はいずれも一回ないし三回の範囲で受診したにとどまっていること、(2)そもそも血液検査の結果自体は、その変化をみれば肝硬変への移行をたやすく推認できるというようなものではなく、その数値は、摂食状況によっても左右されるものである上、前記各血液検査は右のような間隔を置いてなされたものであり、そこに示されている数値も、太郎の症状が悪化の一途をたどっていたことを示すようなものでもなかったこと(そこに示されている数値自体をみる限り、第三回のものよりも第四回、第五回のものの方が正常値に近いとみうるものであること)を考慮すると、太郎の症状については、肝硬変への移行の一般的な危険性を指摘することは可能であり、またそれを指摘して注意を喚起するのが至当の措置であったとしても、前記太郎の病状、検査結果を的確にみておれば、肝硬変への移行の具体的な危険性を察知し指摘できたとまでは認め難く、これをしなかったからと言って、直ちに肝硬変への移行を見逃した義務違反があるとまでは言えない。そして、後記川崎病院入院後の太郎の療養状況等を併せ考慮すると、仮に前記初診後の病状や検査結果に対する被告の判断あるいは経過観察に不十分な点があり、症状が重いことを警告しなかった点に義務違反があるとするにしても、これと太郎の死亡との間の因果関係を肯定するのは困難である。その理由は、後記(二)において判示するとおりである。

(二) 注意義務<2>違反(禁酒の指導を怠り、肝硬変への移行の危険性を警告しなかった義務違反)について

右の点につき、太郎本人は、「被告からは、好きなものを止めろと言っても無理だから、飲酒を控えるようにと言われただけで絶対禁酒と言われたことはない。食事療法、生活管理の点については格別の話はなかったし、治療方法や食事療法について質問をしても『そうだね』というだけで具体的な指示はなかった。禁酒しなかったときの肝硬変への移行の危険性についての注意もなかった。」旨供述し、原告花子も太郎からそのように聞いているとするほか同旨の証言をしている。

これに対し、被告は、禁酒しなかったときの肝硬変への移行の危険性については警告した記憶はないとしているが、その余の点については、「飲酒者に対しいつも言うように、太郎に対しても、酒は絶対に飲まないで、高質な蛋白質を多量に取り、十分睡眠を取るよう指示し、特に飲酒するときは蛋白質を十分に取り、ストレートに酒だけを飲まないように注意した。」旨供述する。

しかるところ、被告のアルコール性慢性肝炎の治療に関する前記知見や被告が初診時に点滴静注を必要とする状態であると判断していることからすると、一応にせよ、禁酒、食事療法、生活管理の点について何らかの指示、注意をするのが通常であろうし、特に太郎が治療方法や食事療法について質問しても具体的な指示をしなかったという点は不自然である。被告が禁酒の点については何ら言及しなかったとする右太郎の供述、花子証言にはにわかに採用できないものがあると言わざるを得ない。もっとも、禁酒の点については、被告自身、絶対禁酒とだけ言ったわけではなく、酒を飲むときには蛋白質を十分に取るようにとも言ったことは認めており、そのことが太郎の印象に残り単に酒を控えるようにと言われただけで禁酒せよと言われたことはないとの同人の理解になっているとも考えられる。そして、前記のとおりアルコール性慢性肝炎の治療には絶対的な禁酒が望まれることや、被告もそのように考えていたことからすると、被告としては、やはり絶対的禁酒が必要なことを強調し、一般的な話にせよ飲酒を継続した場合の肝硬変への移行を警告する等してその趣旨を徹底させるよう努力するのが基本的に求められる措置であったと言うべきであろうが、「飲酒のため肝機能障害を起こしている常習飲酒者に対し、いくら禁酒といっても実際には守られず、減酒(減量)を続けさせることもしなければならない実情がある」ことを考慮すると、被告が右のように飲酒する際の注意をしたこともあって直ちに不適切なものとして非難できるかどうかは疑問である。

しかるところ、太郎や原告花子は、甲第一二号証(太郎の陳述書)、甲第一三号証(原告花子の陳述書)やその供述及び証言において、「被告が絶対的禁酒を指示し、飲酒を続けた際の肝硬変への移行の危険性を警告してくれていれば、太郎は禁酒していた、ところが、被告からは食事に関する指導もなかったので、太郎は毎晩の晩酌の量をそれまでの日本酒三合ないし四合から二合に減らしたが、食生活はそれ以前と同じままであった」としている。

しかしながら、太郎の被告方における前記受診状況(隔日の点滴静注を勧められたが点滴を断り、隔日の受診もせず、一旦受診し始めても被告に相談することなく中断していること等)や以下のような川崎病院入院後の太郎の療養状況をみると、太郎や原告花子が右にいうところはにわかに採用できない。即ち、《証拠略》によれば、川崎病院第一回入院時(平成元年五月二三日)に、原告花子が担当医師から「もう絶対治らない」、「短命です」、「もう仕事は絶対無理だ」との説明を受けていること、《証拠略》によれば、同月三〇日、同病院担当医師が太郎の義母に、「出血は止まっている。静脈瘤をかためる治療を二回したが、これはあくまで対症的なもので肝硬変があるかぎり、また静脈瘤ができることは充分考えられる。また、肝硬変はもとにはもどらない。みとおしは暗いです」との説明をした旨の記載があること、《証拠略》によれば、太郎は、右第一回入院時に担当医師から肝硬変・食道静脈瘤破裂と告知され、家族の後日談等から、当時、自分の生命が危機に直面していたことを知るに至ったとしていることが認められる。そして、《証拠略》によれば、(1)太郎は、平成元年五月二三日、食道静脈瘤破裂による吐血により川崎病院に一回目の入院(同日から同年九月一五日まで)をしたが、右入院中(同年八月二五日)に同室の患者と寿司を食べに行って飲酒しその帰りに転倒して怪我をしていたこと、(2)その後、同病院に通院するようになってからも度々(平成二年一月二六日、二月一四日、八月四日、同月二五日、九月二九日、一二月一日、平成三年一月一六日)飲酒のうえ受診し、同病院の担当医師から禁酒の注意を受け、右通院中の診療録の平成二年一月八日欄には「☆夫人談『酒をやめられない』ウィスキーを飲んでいる(ストレートで)→そういうことをされるとこちらも責任をもてないと云う」との記載があること、(3)平成三年二月五日、同病院に通院(外来)受診中二回吐血して二回目の入院(同日から同年三月三一日まで)をしたが、右入院中(同月二〇日、同月二九日)にも飲酒しており、同月二〇日には呂律がまわらず歩行もふらふらの状態であり、病院内のトイレで転倒して怪我をしていたこと、(4)同年九月一八日、三回目の入院(同日から死亡した同年一二月二日まで)をしたが、右入院中(同年一〇月二四日)にも飲酒していた形跡があり、右入院中の診療録の同年九月一九日欄には「家ではWifeの眼の前では飲酒しなかったがしばしば酒の臭いはしていたと言う。」との記載があることが、それぞれ認められる(もっとも、甲第二六、第二七号証〔原告花子の陳述書〕には、右入院・通院中の飲酒の事実を否定する旨の記載部分があるが、前掲各証拠に照らし採用できない。)。

このように、太郎は、川崎病院の担当医師から肝硬変であることを告知され、自分の生命が危機に直面したことを認識し、かつ、厳重な禁酒等を指示されていたにもかかわらず、飲酒を続けていたことを併せ考慮すると、前記太郎及び原告花子の各陳述書、供述・証言等は、たやすく採用できない。

結局、被告において、禁酒の指示、指導を厳しくし、肝硬変への移行の危険性を警告していれば、太郎が同人や原告花子の言うようにこれに従って禁酒し、本件医療事故を回避できたとは考え難く、仮に、被告の禁酒の指導ないし肝硬変への移行の危険性の警告が十分でなかったとしても、そのことと太郎が禁酒しなかったことや同人の死亡との間の因果関係は肯定し難いと言わざるを得ない。

(三) 注意義務<3>違反(症状の推移に応じた診断を怠り、転医・精密検査の受診をさせなかった義務違反)及び注意義務<4>違反(肝硬変に対応した治療を怠り、死に至らせた義務違反)について

既にみてきたところに照らすと、被告において、太郎の症状が肝硬変に移行しつつあることを具体的に察知し得た時期ないし察知すべき時期を確定するのは困難であり、被告に右各注意義務違反の事実があったとは認め難い。

(四) 無診察治療について

なお、無診察治療の義務違反があるとの原告らの主張が採用できないことは、原判決の理由中第三の三3(二)(8)(三七丁裏二行目から三八丁裏八行目まで)に示されているとおりである。

但し、原判決三八丁表七行目から八行目にかけての「前記第三の二認定のとおり」を「前示のとおり」と改め、一〇行目の「<6>、」の次に「<7>、」を、同丁裏五行目の「多かったこと」の次に「(例えば、川崎病院第一回入院直前の平成元年五月一五日、太郎は、下痢を訴えて被告のもとに来院したが、待合室に先着の患者が待っているのをみて、診察を待たずに薬だけ受け取って帰ったこと)」を各加える。

9 総括

以上によれば、被告には、太郎が肝硬変・食道静脈瘤破裂が原因で死亡したことについての原因となるべき診療契約上の義務違反、又は不法行為上の過失があったとは認められないことに帰するから、原告らの本訴請求(主位的請求・予備的請求)はいずれも、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第四  結論

よって、これと結論を異にする原判決中被告敗訴部分を取り消して、原告らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野 茂 裁判官 高山浩平 裁判官 長井浩一)

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